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金正恩は力づくで「中国の影」を葬った

金正男という最後のカード シリーズ!脱中国を図る北朝鮮⑤

闘争の朝鮮史

 このように熾烈な権力闘争の中、金正日亡き後に発足した金正恩体制ですが、28歳という若さで北朝鮮の最高権力者となり、大変複雑な朝鮮半島情勢を切り盛りする事は、誰かベテランの後見人がいないと、無理なのではないかと懸念する声が世界中で沸き起こりました。

「37年続いた絶対権力を、2年ほど後継者教育を受けただけの若者が、どうやって受け継いでいけるのか疑問だ。正恩は単なる象徴となり、これまでのパワーエリートが実験を握るだろう」と、金正男氏も懸念しています。

 こうした年若い金正恩の後見人だとされていたのが、父の義弟である張成沢だったのです。

 張成沢は、金ファミリーの一員として、党・国家・軍の機構に影響力を行使する立場にありました。そのため彼は、金正恩体制における実質的なナンバー2の地位にあり、国防委員会副委員長をはじめ、朝鮮労働党中央委員会政治局員、朝鮮労働党中央軍事委員会委員、朝鮮労働党中央委員会行政部長などの要職を務めており、朝鮮人民軍においては大将の軍事的階級まで保有していたのです。

 このように金正恩体制は、張成沢が当面の間、摂政として若い金正恩を取り持つ体制がしばらく続くものだと世界は見ていました。その張成沢が粛清されたため、世界にその衝撃が走りました。特に中国は相当ショックでした。

 張成沢の処刑を他所に北朝鮮では、金正恩体制固めが着実に進んで行きました。金正恩体制成立から今日に至るまで150から200人の高官が次々と粛清されました。こうした著しい粛清を繰り返さなければ、金正恩体制は安定することができなかったからです。粛清を繰り返すことによって、金正恩体制がようやく確立したと言えるのです。

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田中 健之

たなか たけゆき

 昭和38(1963)年、福岡市出身。歴史家。日露善隣協会々長。拓殖大学日本文化研究所附属近現代研究センター客員研究員を経て、現在、岐阜女子大学南アジア研究センター特別研究員、ロシア科学アカデミー東洋学研究所客員研究員、モスクワ市立教育大学外国語学部日本語学科客員研究員。 昭和58(1983)年に中国反体制組織『中国の春』の設立に関与し、平成元(1989)年6月4日に生じた天安門事件を支援、亡命者を庇護すると共に、中国民主運動家をはじめチベット、南モンゴル、ウイグルの民族独立革命家と長期にわたって交流を重ねている。 平成3(1991)年、ソ連崩壊と共にモスクワに渡り、ロシア各界に独自の人脈を築く。 一方、幼少より玄洋社、黒龍会の思想と行動に興味を抱き、長年、孫文の中華革命史およびアジア独立革命史上における玄洋社、黒龍会の歴史的、思想的な研究に従事、それに基づく独自の視点で、近現代史、思想史を論じている。 玄洋社初代社長平岡浩太郎の曾孫に当たり、黒龍会の内田良平の血脈道統を継ぐ親族。 著書に『昭和維新』(学研プラス)、『靖国に祀られざる人々』(学研パブリッシング)、『横浜中華街』(中央公論新社)、『実は日本人が大好きなロシア人』(宝島社)その他、共著、編著、雑誌など多数。



 


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